先日、母と電話で話した時、私が記憶していなかったことを母が伝えてくれたことで、新たな気づきに繋がった。
私が、5~6歳頃、父と母は不仲で、母は、私と姉を連れて家を飛び出し、祖父母の家に身を寄せた時期がある。
母は、離婚して、私たちを育てていく覚悟だったのだろう。
祖父母の家から通える所で、歯科助手のパートを始め、私は保育園に、姉は小学校に転入した。
母がその時のことを電話で話してくれて、記憶が蘇ってきている。
母の話によると、私は、保育園が終わった後、母の仕事が終わるまで、その歯医者の2階にある休憩室で待っていたそうだ。
母は、その時、私を一人で休憩室に待たせたことについて、
「お菓子でも買ってあげてただろか?お金もなかったし、辛抱させてたから、何も与えてなかったんじゃなかろうか。。。」
と今更ながらに思い出して気になったとのこと
(でた!罪悪感www)
私は、すっかり記憶になかったが、記憶をたどり寄せる中で、そういえば、無機質の空間に居たことは思い出せてきた。
時々、仕事仲間のおじちゃんやおばちゃんが話しかけてくれてたのも、薄っすらと記憶が蘇ってきている。
それまでは、すっかり忘れていた。
その当時の別な記憶はしっかりあるのだ。
保育園に登園する時は、姉が小学校の登校班の数人と一緒に、私を保育園まで連れて行ってくれて、それから姉たちは小学校へ行っていた。
登園の途中一度だけ、通りがかった車が、たまたま水たまりの上を走り、その水しぶきを私だけが直撃し、頭からびしょり濡れて、惨めな気持ちで保育園まで行ったのは、よく覚えている。その時、園の先生が、パンツも含めて保育園にある予備を着せてくれたのを覚えている🤣🤣🤣
だけど、帰りは全く記憶にない😅
母が迎えに来てくれたのだろうが、その記憶はないのだ💦
母の話では、私は、どうもその2階で、お利口に待っていたらしい。
自分でもビックリだ(笑)
そのことを、先日Tちゃんに話したことで、気づいたことがある。
私は、待つのがとても苦手なのだ。
待たされると、めちゃくちゃイライラしてくるのだ。
それと、この頃の私が繋がった💡💡💡
待つのが苦手なのは、この頃の体験のせいかもしれない。。。
お陰で、なるほど!となっている。
記憶に無かったことだけど、こうして思い出せることもあるんだなぁ。
感情的になることには、それなりの理由があるということだ(^_-)-☆
一昨日の金曜日は、Tちゃんと映画「君たちはどう生きるか」を観に行った。
その帰りの道中に、ふと気づいたのだ。
映画を観たことも刺激になったのかもしれない(^_-)-☆
自分のことを知ることで、一つまた、肯定感を上げた感じーーー(*^^*)
(Tちゃんのおごり💛 有難うございます)